気がつけば残暑の間も無く、朝晩はすっかりと涼しくなりました。
虫の音が賑やかに秋の情緒を誘います。
三十六歌仙絵巻ご紹介、第5回となる今回は、伊勢の句をご紹介いたします。
【作者】伊勢 (いせ)
生:未詳 没:天慶元年(938年)以後
伊勢は、父である藤原継蔭(つぐかげ)が伊勢守として赴任していたことから名前がついたと言われています。天皇の后である温子に使え、永年宮中に勤めました。若くから多くの高貴な男性たちから求愛され、それぞれ多くの逸話が残されています。
歌人としても才能を発揮し、これらの経験を昇華した歌の数々は「古今和歌集」にも多数収録されました。同じく多くの歌が収録されていたあの小野小町とともに、平安時代を代表する女流歌人として現代までその名を残しています。
【掲載されている歌】
みわの山
いかにまち見む年ふとも
たづぬる人も
あらじと思へば
– 古今和歌集 巻第15 恋歌5–
あの三輪山に参りますが、私は待ったりしません。
どれだけ年月が経とうとも、私を訪ねてくれる人など誰もいないと思いますので…
これには、詞書(ことばがき)というその歌についての説明文が付いています。
●「仲平の朝臣あひ知りて侍りけるを、かれ方になりにければ、父が大和の守に侍りける許へまかるとて、よみつかはしける。」
(詞書)
「仲平」とは、当時恋仲であった藤原仲平のことで、伊勢との関係があるうちに他の女性のもとへ婿入りをしてしまいました。振られた形となった伊勢は、傷心の思いをこの歌に込め、当時の父の任地であった大和の地へ行くことを仲平に告げます。
「みわの山」三輪山(奈良)は、平安よりさらに古の時代「古事記」に記された話より、「待ち人」の象徴として歌人や文学に用いられてきました。
同じく「古今和歌集」に収録されているこの歌も、
●「我が庵は 三輪の山もと 恋しくは とぶらひきませ 杉たてる門」(読み人知らず・巻第18 雑歌下)恋しければおいでください、待っています。という内容です。
しかしひどい振られ方をした伊勢は、そんな場所に(あえて)行くのに「 いかにまち見む (待つことも無い)」「年ふとも(何年経とうとも)」と怒り心頭の様子です。
もし、追いかけてきても相手にしません!ということとも読めますが…かなり拗ねた様子にも感じられるのは、「 たづぬる人も あらじとも思へば」に「もうこの先誰とも恋愛などしない」にも読めてしまうところでしょうか。
仲平との恋は伊勢のごく若い時代であったと思われます。
この失恋を乗り越え、ふたたび都に戻り宮中に仕えた後は、多くの華やかな恋愛を経験してさまざまな歌を残していきました。
才女であり、人生経験も華やかである伊勢の歌には、当時の女性の心の様が鮮やかに現れていてとても興味深いですね。