東京四谷総鎮守│須賀神社

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三十六歌仙絵ご紹介(第3回)

新宿区もつい先日より蝉の声が聴こえるようになり、いよいよ本格的な夏も近づいて参りました。梅雨明けまでもう少しといったところでしょうか。

三十六歌仙絵巻ご紹介、第3回となる今回は、紀貫之の句をご紹介いたします。

紀貫之

【作者】紀貫之(きのつらゆき)
生:貞観8年(866年)または貞観14年(872年)頃?
没:天慶8年5月18日(945年6月30日)

 平安時代前期を代表する歌人、文学者であり随筆家です。醍醐天皇〜朱雀天皇の元、官職を歴任しました。当代一の歌人として活躍し、905年には醍醐天皇の命による初の勅撰和歌集「古今和歌集」を従兄の友則らとともに撰上します。仮名による序文を執筆し、後の文学に大変な影響を与えました。その後も勅撰歌人として、三代歌集に最多の435首が入集されました。
土佐国から帰京する旅の日々を綴った「土佐日記」は、仮名文字を使った日本文学史で初めての日記と言われております。当時女性のものとして使われていた仮名文字を使い、女性の作者を装って書かれた軽妙でユーモアの混じった内容は、その後の女流文学や随筆に多大な影響を与えました。まるで現代の〝旅ブログ〟のようでとても親しみがありますね。
「小倉百人一首」にも和歌が収録されています。

【掲載されている歌】
むすぶ手の
雫に濁る山の井の
あかでも人に
別れぬるかな

– 古今和歌集 巻第八 離別歌404 –

両手で水をすくうと、手からしたたる滴で濁ってしまい山の泉(水飲場)は浅くて満足に渇きを癒せない。これと同じく、もの足りない思いであの人と別れてしまったのが残念だ…

 これは旅の途中で詠まれた歌で、古くから名歌として知られた歌であります。
●「この歌、「むすぶての」とおけるより、「しづくにゝごる山のゐの」といひて「あかでも」などいへる、おほかた、すべてことば、ことのつゞき、すがた・こゝろ、かぎりもなきうたなるべし。歌の本たいは、たゞこの歌なるべし」(藤原俊成・古来風躰抄)

内容は、旅の途中に水飲場で見かけた女性と親しくなれないまま別れてしまった心情を歌ったものです。「少しも(親しくなれなかった)」の「あか」を仏壇に供える水の「アカ」にかけたことで(仏壇の水はとても少ない)、山の泉の浅さと縁の浅さを併せ持って状況と作者の心情を表しています。
また「アカ」、は「飽く」にもかかりますので、もの足りない思いがさらに追加されます。

豊富な語彙と巧みな技によって、旅の途中のささやかな一コマが、紀貫之の心情が織り込まれたドラマのワンシーンとなって詠む側にありありと伝わって来るようです。
現代の私たちにも通じる感性を、千年以上も前の歌から感じることができるのはとても面白いですね。

藤原氏の権勢により、出世には恵まれなかったと言われている貫之ですが、天賦の才である歌によって朝廷と繋がり、後世に残る大仕事を成し遂げたことは何よりの功績に違いありません。

次回は凡河内躬恒の作品をご紹介します。
この絵巻は須賀神社本殿の拝殿に飾られています。
皆様、是非絵巻とともに和歌もご堪能ください。