東京四谷総鎮守│須賀神社

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三十六歌仙絵ご紹介(第8回)

本日は節分ですね。今年は2月2日が節分と言うことで、これは124年ぶりの事だそうです。
そして、本日の0時が一陽来福守をお祭りする今年最後の日でした。
皆様はお祭りできましたでしょうか。

さて、三十六歌仙絵巻ご紹介、第8回となる今回は、在原業平の句をご紹介いたします。

【作者】
在原業平(ありわらのなりひら)
生:天長2年(825年)
没:元慶4年(880年7月9日)

藤原業平は父母ともに天皇の直系、三十六歌仙の中でも身分としては随一の血筋で生まれました。しかし、祖父の平城天皇が起こした「薬子の変」によって皇位継承の道からは外れ、在原姓を賜り臣籍に加わることとなります。そのため生涯官職において出世には恵まれず、晩年になるまで要職に就くことが出来ませんでした。
 容姿端麗であり、和歌の才能も秀でていたこと、その華やかな女性遍歴は「伊勢物語」のモデルであり主人公と言われております。生涯にわたったドラマチックでスキャンダラスな恋愛などの物語は、高貴な出生でありながらも不遇な身分として生きねばならなかった、美貌の貴公子として現代に伝えられています。
 『勅撰和歌集』に80首が入首しています。その中で『古今和歌集』の序文にある「六歌仙」にも業平の名が記されています。

【掲載されている歌】
月やあらぬ
春やむかしの春ならぬ
わが身ひとつは
もとの身にして

– 古今和歌集 巻第十五 恋歌五 歌747 –

この月は去年と同じ月ではないのか、この春も去年と同じ春ではないのか。私自身だけが変わらず昔のままだ。
この歌は、伊勢物語の話にてとある失恋の物語にある主人公が詠んだものです。

五條のきさいの宮のにしのたいに住ける人に、ほいにはあらで物いひわたりけるを、む月のとをかあまりになんほかへかくれにける。あり所はきゝけれど、え物もいはて、又のとしの春、むめ(梅)の花さかりに月のおもしろかりける夜、こぞをこひてかのにしのたいにいきて、月のかたぶくまで、あばらなるいたじきにふせりてよめる

在原業平朝臣/伊勢物語絵巻四段(西の対)

 

五条后の宮の西の対に住んでいる女性と深い仲になったが、睦月(正月)の十日ごろ、その女性は突然どこかへ行ってしまった。居場所を知るも、手の届かない人になってしまった。その年の春、梅の花が盛りの月の美しい夜に、私は一人去年の思い出の残る西の対に行った。そして彼女を想いながら月の傾くまで空っぽの板敷の部屋に横たわっていた。
 この歌は、高貴な女性との報われない恋が突然終わり、想い出を偲びながら失意の気持ちを情景溢れる言葉で読んだ「余情歌」です。
 身分違いの女性との恋は、たびたび思いもしない終わりを迎えます。自分だけが変わらないまま、相手は手の届かない他人の元へと行ってしまいます。実際に業平が経験した多くの恋愛の中でも、この恋(藤原高子=二条の后と言われています)は自らの境遇と重ねて特に儚く虚しい気持ちになったことでしょう。
 この「月やあらぬ」「昔や春の春ならぬ」における「や」の解釈は、古来1000年以上にわたり反語を表すのか、はたまた疑問なのかで度々議論されてきました。それぞれの解釈は多岐にわたり、ここで纏めるのはとても文字が足りませんが、その内容は『変わったのは、いや変わらないのは月か業平の境遇か』などとどれも興味深いものです。

 この解釈に結論は出ていませんが、それだけ多くの人々が時代を越えてこの歌に惹かれたという事実は、やはり歌仙に選ばれる業平の才能が秀逸であったということですね。