東京四谷総鎮守│須賀神社

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三十六歌仙絵ご紹介(第9回)

今年は桜の開花が早く、今ではすでに新緑の葉のみとなりました。遅咲きの八重桜も散り、最後の花びらが道端に残るばかりです。
皆様はお祭りできましたでしょうか。

三十六歌仙絵巻ご紹介、第9回となる今回は、僧正遍昭の句をご紹介いたします。

【作者】
遍昭(へんじょう)
俗名:良岑宗貞(よしみねのむねさだ)
生:弘仁7年(816年)
没:寛平2年(890年)

遍昭は、本名を良岑宗貞といい、桓武天皇の孫として生まれます。順調に出世を重ね、仁明天皇の時代には要職に就ていました。しかし仕えていた天皇が崩御すると、大葬の役も辞退し出家、比叡山に入ります。
修行後は天台宗の僧侶となり、花山の元慶寺(京都)を建立、仁明天皇の王子より紫野の雲林院を譲られます。
美男子であったと言われ、若い頃から華やかな女性遍歴を重ねましたが、出家後はその知性と経験から多くの優れた歌を詠み、古今和歌集や百人一首にも名を残す歌僧となりました。

【掲載されている歌】
いその神
布留の山べの桜花
うゑけむ時を
しる人ぞなき

– 後撰集 巻二 春中 歌049 –

石上の地、布留の山に咲く古い桜。この木々を植えた時代を知る人々はもういない。
この歌にある「いその上」は石上神宮のことと言われています。天皇家の始祖に関わる大変古い神社で、その辺りの土

地は古の時代には「布留」と呼ばれていたことから、「いそのかみ」の枕詞として使われました。

遍昭が建立した寺の一つに良因寺がありますが、そこは布留の土地でした。布留には母の生家があり、また天皇家の石上神宮もある、遍昭のルーツにおいてとても縁深い場所です。 その良因寺の僧として居住していた頃、当時宮仕えを終えて様々な土地を旅していた小野小町が、一夜の宿をと訪ねた逸話があります。その思い出をお互いに歌に詠んだ作品が残っています。

歌の内容は、古の頃より咲き続ける美しい桜。それを植えた人も、それを知る人々もすでにこの世には誰もいない…という心情を表していて、儚く切ない響きを感じさせます。
僧正という立派な地位にまで就きながらも、ひっそりと華やかに咲いて散っていく桜の花を見ると、このような思いが湧いて来るのでしょうか。 かつて栄華を誇っていた若い頃の自分を、由緒ありながらも古い物語となり忘れられゆくこの布留の土地に重ねたようにも取れる、憂の趣のある歌です。
桜の花は、年齢とともに見え方、感じ方が変わっていきますね。皆さんはいかがでしょうか。