梅雨の季節となりましたが、
ここの所、一足飛びで夏が到来してしまったかのような暑さが続いている今日この頃、
皆様いかがお過ごしでしょうか。
燕が飛び交い、今年も変わらずはるばる帰ってきた野鳥たちの旅にを想いを馳せます。
三十六歌仙絵巻ご紹介、第10回となる今回は、素性法師の句をご紹介いたします。
【作者】
素性法師(そせいほうし)
俗名:良岑玄利(よしみねのはるとし)
生:生年不詳
没:延喜10年(910年)?
素性法師の本名は良岑玄利。前回(第9回)の歌仙、遍昭の息子です。父に続いて天皇の血筋として生まれ、貴族の子として順調に昇進していました。しかし時の天皇、仁明天皇が崩御すると、寵愛されていた父はその死を悼み出家します。玄利は父の命により、共に出家させられました。
若い盛りの頃に望まぬ僧の道へと進むこととなりましたが、僧正として大成し、歌僧といわれた父の影響を多分に享受します。
父遍昭の建てた、当時貴族たちのサロンとして多くの歌人が利用していた雲林院(京都)という寺の別当を任されます。当時の才人、紀友則や在原業平などの歌人と交流し、やがて父に続いて「和歌の名士」と呼ばれるほどに名歌を残す僧となりました。
古今和歌集、勅撰和歌集に多数の歌が入首し、小倉百人一首にも素性法師の歌があります。
【掲載されている歌】
音にのみ
菊の白露夜はおきて
昼は思ひに
あへずけぬべし
– 古今和歌集 巻第11 恋歌1 470–
あなたのことを噂で聞くばかりで、私の気持ちはまるで菊に置いた白露のよう。
夜は起きて寝られず、昼は儚く消えてしまいそうです。
恋しい人に会えずに、様子は人の話に聞くばかり。
それでは想いが募る一方で眠ることもできません…という心情を歌ったものです。
それを「きく」=「菊」「聞く」、「おきて」=「置きて」「起きて(熾きて)」、思「ひ」=「日」「火」といくつもの掛詞を駆使して、陽に当たり消えてしまう白露の昼と、恋心燃える夜という一見対照的な事象を、恋の苦しみを表す歌として見事に紡ぎあげました。
情熱的でアーティスティックな技巧にあふれていますが、若くして不本意ながら出家した僧侶の歌であると思うと、複雑な感想を覚えてしまいます。
芸術や文学は、技を磨き修練を重ね腕が上がりますが、作者自身の人生経験がその本質にあります。この歌は素性法師のどの素養から生まれたものか…恋歌であるところが故に、気にかかるところです。