東京四谷総鎮守│須賀神社

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三十六歌仙絵ご紹介(第11回)

梅雨も本格的な時期に入り、各地で豪雨被害なども伝えられておりますが、夏の匂いも感じられ、もう少しで梅雨明けとなるのではないかと思う今日この頃でございます。
皆様はいかがお過ごしでしょうか。

 

三十六歌仙絵巻ご紹介、第11回となる今回は、紀友則の句をご紹介いたします。

紀友則

 

【作者】
紀友則(きのとものり)
生:生年不詳
没:907年頃

 

紀友則は、前出(第3回)の紀貫之の年上の従兄弟にあたります。

紀氏は古代豪族が祖の名門氏族でしたが、時流れて平安政治の中枢からはすっかり離れてしまっておりました。そこで一族は、出世の代わりに文学や歌の世界に居場所を見出す者が生まれます。

友則も若い頃の記述はほとんど見当たりませんが、歌の才による逸話は官職に就くずっと前より見られます。

やがて時の代表的な歌人となり、古今和歌集の選者4人のうちの一人として任命されましたが、間もなく病気になり完成を待たず世を去りました。

「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ(古今84)」

百人一首に収録もされている、優雅で叙情豊かな友則の代表作です。
和歌の世界の入口として国語の教科書にも使われ、今尚私たちにその素晴らしさを伝えています。

 

 

【掲載されている歌】

夕されば
蛍よりけにもゆれども
ひかり見ねばや
人のつれなき

– 古今和歌集 巻第12 恋歌1 562–

 

夕方になれば、私の心は蛍よりも燃えているというのに
その光が見えていないのか、あの人はつれない…

 

平安時代、高貴な身分の人々の恋愛は、日が暮れてから男性が女性の部屋に通うことが通例でした。女性の側は屋敷から外に出られず、男性が訪れてくるのをただ待つのみです。

想いの人、好みの男性であっても、相手が同じ気持ちでなければ次に来てくれるまでひたすら待ちこがれるだけでした。

そんな女心を友則は蛍の光に例えました。一見繊細な光ですが、蛍の世界では熱烈なラブコールです。

しかし…「見ねばや」には「見ていないのか」、との意味に取れるのです。主語が「つれない」人とありますので、光届かず残念ながらこの恋は片想いの歌であることがわかります。

気持ちを伝える手段が多かれ少なかれ、その想いがスルーされてしまってはどうしようもありません。

蛍のように光が強いものが恋を獲得できる世界と違い、気持ちがあれど、恋の成就にはつながらない人間の心はまことに複雑なものです。だからこそ、和歌の様な文学が生まれ、後世まで楽しめるのでしょうね。