この頃は夜更にコオロギなど虫の声がさかんに聞こえるようになり、秋の訪れを実感してまいりました。
長く外出が難しい毎日では、このような身の回りの小さな生き物たちが私たちに季節の変わり目を教えてくれます。
三十六歌仙絵巻ご紹介、第13回となる今回は、小野小町の句をご紹介いたします。
【作者】
小野小町(おののこまち)
生没年不詳
世界の三代美女に数えられ、現代でも美人の代名詞「小町」が使われるなど、誰もが知る美貌の歌人です。しかしその生涯は謎が多く、小町という役職名以外の本名とももに詳しくは伝えられておりません。
「小野」の名から「小野妹子」の子孫であるとか、出羽国(秋田)の出と言われております。仁明・文徳天皇の時代(在位833-858年)に宮中に仕えていましたが、その後は縁のある土地にあちこちと彷徨い移り、だんだんと落ちぶれて最後は荒屋にて90歳まで生きたと言われております。
華やかだった宮中時代に数多くの歌を残し、古今和歌集に17首、百人一首にも収録されました。
たおやかで女性らしさあふれる恋歌が多くある一方、どこか世を儚み憂いたものもあり、そのコントラストは多くの伝説の元となりました。
【掲載されている歌】
わびぬれば
身を浮草の根を絶えて
誘ふ水あらば
いなむとぞ思ふ
– 古今和歌集 巻第18 雑歌下938–
侘び暮らしの身は
水に漂う根の無い浮草のようですから
誘う人あれば何処へでもお供したいと思っています
- この歌の詞書…文屋の康秀三河掾になりて、「あがた見にはえいでたたじや」と言ひやれりける、返事によめる
歌人として知られる文屋康秀は、小野小町と親交がありました。三河国に赴任することになった際に、どんな所か見においでになりませんか?と誘った文からの返事の歌です。
すでに宮仕えも終わり、後ろ盾もなく身の置き所も定まらないまま都を離れた小野小町は、寂しさと寄る辺のない気持ちで暮らしていたのでしょう。
そんな中で文を通わせあう仲の男性に誘われます。恋歌ではないかと思われますが、すでに美貌も衰え始めていた年齢の小野小町は思慮と分別のある内容で返しました。
康秀が赴く三河国にかけた川の流れを背景に、身の上を「憂き」草にたとえ、気持ちを「行きましょう」と「否む」の「いなむ」に込めます。行きたいが行けませんし…と本心とも戯言ともとれる返事であり、選者はこれを雑歌のカテゴリに入れました。
この先を憂い暮らしている気持ちがあらわであり、自由でありつつも寂しく孤独な現状が読み取れます。
同じ宮仕えから天皇の皇子を産んだ前出(第5回)の伊勢とは反対に、恋多くも誰かに決めず若い時を終えた小野小町の人生の一端がここに現れています。
絶世の美女として名を馳せましたが、華やかだった生活は長くは続かず、その後は老いて落ちぶれる日々を独り過ごした…と伝えられる小野小町。その激動の人生は、後の時代に生きる人々の興味を惹きつけてやみません。しかしそれは、想像を掻き立てられるような彼女の生んだ和歌の素晴らしさによるものなのでしょう。