東京四谷総鎮守│須賀神社

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三十六歌仙絵ご紹介(第14回)

まだまだ暑さが残るものの、台風が日本列島に迫り、夏も終わりが近いのかと思わせる今日この頃です。

三十六歌仙絵巻ご紹介、第14回となる今回は、藤原兼輔の歌をご紹介いたします。

猿丸大夫

 

【作者】

藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)

生:元慶 元年(877年)

没:承平3年(933年)

 

兼輔は、藤原氏が摂関家一族として地位と政治力をほぼ独占していた時代に生まれました。高貴な一族の1人として、兼輔も生涯を通し順調に出世し最終的に中納言となります。

その頃暮らしていた屋敷が鴨川堤にあったため「堤中納言」と呼ばれていました。屋敷は芸術のサロンとして多くの貴族が出入りしており、

兼輔は面倒を見たり共に和歌や管弦を楽しみ技術を磨いていました。中でも勅撰歌人の紀貫之(第3回)、凡河内躬恒(第4回)と親しく、共に平安時代中期の和歌の発展と向上に尽くしました。

古今集(4首)など勅撰歌集に58首が入首されています。また、曾孫

は紫式部であり「源氏物語」の中に兼輔の歌が引用されています。

 

【掲載されている歌】

みじか夜の

ふけゆくままに高砂の

峰の松風

ふくかとぞきく

– 後撰和歌集 167–

 

夏の短い夜が更けていくにつれ、ますます高砂の峰から

松に吹き下ろす風の音のように聴こえる

 

この歌の詞書…夏の夜、深養父(ふかやふ)が琴ひくをききて

 

夏の夜に、琴の名手であった清原深養父の演奏を聴き、その腕に感嘆し褒め称える歌です。同時に、松風は秋の季語であることから、夜の深まりの短さとかけて夏の夜は短いことを残念に思う気持ちも表しています。

 

当時使われていた琴(きん)は、中国から輸入されて間もない楽器で、弦の数や奏法、音色ともに現在の箏(こと)とは違うものだったようです。その琴の音を松風に例える表現も、共に中国から入ってたものでしたが、芸術の様式として日本でも使われていきました。

 松を吹き抜ける風音のようと言う、平安の琴はどのような調べなのか、聴いてみたいものです。

 夜が更けるまで音楽を楽しみ、また文化や芸術を深めるゆとりのあった平安の藤原氏の世界が垣間見えるような歌です。優雅で風流な時の流れを感じますね。