東京四谷総鎮守│須賀神社

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三十六歌仙絵ご紹介(第16回)

酉の市も終わり、いよいよ師走と2021年も終わりが近づいてまいりました。
本年もコロナ禍に多大な影響を受けた年となりましたが、
皆様はいかがでしたでしょうか。

三十六歌仙絵巻ご紹介、第16回となる今回は、源公忠の歌をご紹介いたします。

 

【作者】
源公忠(みなもとのきんただ)
生:寛平元年(889年)
没:天慶8年5月18日(945年6月30日)

平安時代前期〜中期の貴族で、光孝天皇第14皇子である父国忠の次男として生まれました。父の代に臣籍降下となり、源の姓を与えられます。22歳で昇殿し、掃部助から始まり内裏での官職に務め、父と同じ蔵人に長く任ぜられました。

宮廷歌人としても活躍し、ほぼ同年代の紀貫之とは親交が深かったようです。
また香道や鷹狩りでも才を表す文化人で、「大和物語」「大鏡」「宇治拾遺物語」などに逸話が多く残されています。

 

【掲載されている歌】
とのもりの
とものみやつこ心あらば
この春ばかり
あさぎよめすな
– 拾遺和歌集 1055 –

 

この歌の詞書…延喜御時、南殿に散りつみて侍りける花を見て

殿守りの伴の御奴よ、(風流を解する)気持ちがあるなら、この春ばかりは朝の掃除をしないでおくれ

詞書にある南殿とは、平安宮内裏にある紫宸殿(ししんでん)のことで、宮中でも最上級の祭事が行われる際に使われる建物です。その建物正面の右側には橘、左側には桜の木が植えられていて、時節には美しく花を咲かせ時の歌人や宮廷人の目を楽しませてきました。

その桜が満開も過ぎて、散る花びらが一晩のうちに積もり、辺りに敷き詰められたかのような見事な景観だったのでしょう。それを惜しんでその日一番の仕事である朝清めに努める役人(伴の御奴)に呈した歌です。

いくら美しくても仕事ですから掃き清めてしまいます。風流を解するなら、と上位の歌人らしい物言いでそれをとがめました。

公忠は昇殿して最初に就いた官職が掃部助でした。この職務は主に清掃と宮中行事の設営で、かつては公忠も同じく紫宸殿の前庭を清掃してた頃があったと思われます。
歌の才に秀でていた公忠は、春の一瞬の風雅さを尊び、清掃に大変惜しい気持ちを持っていたのではないでしょうか。

この歌は共感を呼び、後に多くの派生歌を生んで季節の儚く美しいものを惜しみ愛でる心情に詠まれました。

 

確かに花びらの敷き詰められた朝一番の桜の下はとても美しいものですが、すぐに色も変わりますからその掃除の見極めはなかなか難しいところです。
名歌として選ばれていることから、その後は春の一時期のみ、左近の桜の下は清めてはならない、などと決め事ができたのかもしれませんね。

 

現代の京都御所の「左近の桜」も、満開時には花びらをしばらく積もるままにしているのでしょうか?
一度は確かめてみたいものです。