東京四谷総鎮守│須賀神社

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三十六歌仙絵ご紹介(第17回)

新年おけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

今年のお正月は久方ぶりにやや活気が戻ってきているような感じがいたしました。
その一方でオミクロン株の広がりが気がかりなところでございます。
早くコロナ禍が収束することを祈るこの頃です。

三十六歌仙絵巻ご紹介、第17回となる今回は、壬生忠岑の歌をご紹介いたします。

 

【作者】
壬生忠岑(みぶのただみね)
生:貞観10年(860年)頃
没:延喜20年(920年)頃

 

平安時代初期の歌人です。先祖や系譜の類が不明であり、当時それほどの家柄ではなかったようです。そのためか生涯出世には恵まれず、身分の低いまま生涯を終えたといわれています。

その一方、歌人としての才能が当代一でありました。高級役人と並び三十六歌仙や百人一首に撰出されるなど、数々の歌集に和歌が収録されました。そのため、同じく歌人の秀才である紀貫之、紀友則、凡河内躬恒とともに最初の勅撰和歌集である「古今和歌集」の編纂に任命されました。

今回の作品は、勅撰和歌集「拾遺和歌集」で巻頭歌に撰ばれ後世の高名な歌人たちにも絶賛されている歌です。

 

 

【掲載されている歌】
はるたつと
いふばかりにや三吉野の
山もかすみて
けさは見ゆらん

– 拾遺和歌集 巻頭歌 –

 

 

春立つ(立春)というだけに、み吉野の山も霞んでしまい、今朝は見えないのでしょうね。
吉野の山は古来からその景観の美しさが讃えられ、様々な文学に引用されてきました。特に現代でも毎年話題になる桜の時期には、多くの貴族がそれを愛で、人生や心の機微を織り込み歌に読みました。

とはいえ吉野の山は深く、さらに気軽に移動が難しい時代ですので、当時の多くの人々は優れた歌などからその様子を想像していたと思われます。

忠岑が実際に春の吉野へ訪れたことがあるのか明らかな文献はありませんが、春霞に煙る山々を想像したシンプルな表現は当時の歌壇に大変な評判になりました。
しかし紀貫之のように技巧を凝らした歌がもてはやされる一方、このような歌が高く評価されたのは不思議だと感じる方も多いと思います。

誰の目にも同じようにその景色が浮かぶようなわかりやすい言葉遣いは、上級者であるほど難しいのかもしれません。

下級歌人であったことを悩んでいた忠岑ですが、そのゆとりある感性で、多少は豊かな人生を過ごしていたのではないでしょうか。