2月に入りまたオミクロン株の勢いが増し、不安な日々となっております。
本日は節分ということで、そのような気分も祓ってしまいたいところですね。
三十六歌仙絵巻ご紹介、第18回となる今回は、齋宮女御の歌をご紹介いたします。
【作者】
齋宮女御(さいぐうのにょうご/通称)
徽子女王(きしじょおう)
生:延長7年(929年)
没:寛和1年(985年)
斎宮女御は醍醐天皇の第四皇子、重明親王を父に、時の太政大臣であった藤原忠平の娘寛子を母に生まれました。
徽子女王は9歳で斎宮(伊勢神宮に奉仕する未婚の内親王・女王)に選ばれ10年間務めました。その後村上天皇に入内し女御(後宮の位で皇后、中宮に次ぐ高位)となり、女子を授かりました。
娘の規子内親王も斎宮となりますが、その際に世話役として同行したので当時でも異例であった二度の伊勢入りをしました。このエピソードは、後の「源氏物語」の登場人物、六条御息所のモデルとなったと言われています。
通称であった「斎宮女御」の名の通り、天皇の女御、さらに斎宮という当時でも唯一であり高貴な身分でありました。父親の重明譲りの琴と歌の才に秀でており、同じく琴と歌を愛した村上天皇の寵愛を受けます。斎宮や宮廷で歌合を度々開いては多くの良質な歌を生み出し、時代の文化に貢献しました。
【掲載されている歌】
袖にさへ
秋のゆふべはしられけり
きえしあさぢが
露をかけつつ
– 新古今和歌集 778 –
●この歌の詞書…一品資子内親王にあひて、むかしの事ども申しいだしてよみ侍りける
袖にまで、秋の夕暮れにはそうと知られてしまいます。
消えてしまったあさぢ(浅茅)が露(涙)をかけていくものですから。
秋の夕暮れは夜露が降りて…きえしあさぢ(浅茅)が…
一読すると秋の歌のようですが、詞書から読み解くと、村上天皇の思い出話についての歌となります。
歌を詠んだ相手の資子内親王は、村上天皇の第九皇女です。「むかしの事」とは村上天皇についての話題で、歌の様子からすでに薨去しており、斎宮女御は天皇を偲び悲しんでいることがわかります。
秋に浅茅(野山に群生するイネ科の植物)が一斉に草原を赤く染め枯れていく様を、歌人はしばしば物事や人が消える(亡くなる)様に例えて詠みました。その草露で濡れた袖を涙になぞらえる表現は、哀しくも美しく、品格を感じさせます。
村上天皇は、琴や和歌の合う女御をたいへん寵愛していたと言われています。
しかしその時代もやがて過ぎ、女御は後宮の中で居場所を見つけられずにやがて二度目の伊勢入りを決意します。
高貴な生まれでありながらも、多感な時期を伊勢の斎宮として過ごし、処世術とは縁がないまま後宮入りした女御には辛い世界だったと想像しますと、この歌の哀しきところもより深まってまいります。