4月に入り桜も満開となり、新しい季節の訪れを感じる今日この頃です。
蔓延防止法も解除となり、暖かさとともに人々の賑わいが戻ってきているような気がしております。
三十六歌仙絵巻ご紹介、第19回となる今回は、大中臣頼基の歌をご紹介いたします。
【作者】
大中臣頼基(おおなかとみのよりもと)
生年未詳 (886年?)
没:天徳2年(958年)
大中臣頼宣の父。 大中臣は、代々神祇の祭事を司る職に就いており、頼基は伊勢神宮の第二十五代祭主を務めました。官職では従四位下。宇多天皇のもとで宮廷歌人として活躍し、延喜七年(907)には大井川へ行幸を行なった際に紀貫之、凡河内躬恒らと共に供奉しました。拾遺集に初出、勅撰和歌集入首12首。歌集「頼元集」があります。
子の能宣、孫の輔親も著名歌人として数々の歌を残し、後に「重代の歌の家」と呼ばれました。
【掲載されている歌】
子日する
野べに小松をひきつれて
かへる山ぢに
鴬ぞなく
ねのひ(子の日)に
野辺で引いた小松を持ち帰る道すがら
山から鶯の鳴き声がする
「子の日」とは、十二支のねずみの日のことで、平安時代は、正月が来て暦の最初の子日に野山に出かけ、まだ若い松の木を引き抜いて持ち帰り敷地に植える習慣がありました。
一説によると宇多天皇が始めたといわれ、ねずみにかけ子孫繁栄、また松には長寿を願ったという正月に欠かせない行事でありました。
そこから当時は正月の歌の題材として、しばしば「子日+小松」は使われており、多くの名歌が生まれました。
早春の野山に出かけ、松や若菜摘み(のちに派生)をし宴を催してその日を祝うことは、とても楽しい行事であったことでしょう。
その最中に鶯の鳴きを聴く…なんとも縁起の良さそうな、春らしく平安な情景が浮かびます。
一族や家族総出で小松を引き宴を楽しむ姿は、欧米でクリスマスツリーを準備する感覚にも近い、特別でワクワクした雰囲気を想像してしまいます。
現代ではみられなくなった風習ですが、これが門松の起源になったと言われております。はるか1000年以上も前の習慣が、現代にも受け継がれていることがわかる歌です。
次の正月飾りは、子日に行うのが良いかもしれませんね。