暦はもう5月ですね。新緑の季節がやってまいりました。
街にも活気が戻りつつあり、神輿渡御こそありませんが、本年は須賀神社も例大祭を行います。
いろいろな物事が少しづつ通常へと向かう喜びを感じている今日この頃です。
三十六歌仙絵巻ご紹介、第20回となる今回は、藤原敏行の歌をご紹介いたします。
【作者】
藤原敏行(ふじわらのとしゆき)
生年不詳
没:延喜元年(901年)
藤原敏行の父は陸奥出羽按察使、藤原富士麿、母は古代豪族の名門家系、紀氏一族の女子です。按察使(あぜちし)とは、陸奥・出羽の地を統括する官職の名称で、当時は高級官僚、出世コースの要職でした。
母の姉、静子は更衣として文徳天皇に入内し第一皇子を授かっていましたが、時は藤原氏の勢力が強まっており、女御藤原明子の策により皇子にその座を奪われ皇太子になれませんでした。
敏行は、斜陽の紀氏と強勢な藤原氏の間で生きることとなります。
藤原氏である父の跡を継ぐように、地方官や右近少将を勤め4代の天皇の元に仕えて、最後は右兵衛督まで昇進しました。
一方で詩歌の才能も高く、当時従兄弟である第一皇子の惟喬親王が姻戚関係である在原業平(第8回)の導きで文芸の世界に没頭しており、敏行もそこに出入りし共に技術を磨いていきました。紀友則(第11回)とも交流が深く、亡くなった後に歌を送られています。
古今集に十九首、後撰集に四首、勅撰集入集は二十九首と多くの歌が残されました。能書家としても当代随一とされ、文芸・官職とも広く活躍し、まさに藤原氏と紀氏の利と才を受け継いだ人生であったようです。
【掲載されている歌】
●是貞親王家歌合によめる
あきはぎの
花さきにけり高砂の
をのへのしかは
今やなくらん
– 古今和歌集 巻第四 秋歌上 歌218 –
秋萩が咲いたようです。
高砂の尾根にいる鹿も、今頃(恋しく)鳴いているのだろうか
一見すると、深まる秋の情景を表した歌と読めます。猿丸大夫(第12回)と似た題材ですが、こちらは秋萩の花です。
当時の人々に親しまれ愛でられた秋の風物のひとつが、紫色の萩の花であり萩の紅葉です。低木で平地にも生えるので、しばしば鹿の姿と共に目撃され、その風景は多くの歌に詠まれてきました。
それは遡ると万葉集から多く見られ、古来より文学上では「秋萩といえば牡鹿」というほど長くペアリングされ、秋を表す〝夫婦〟として使われました。
この歌ではメスを呼び鳴き声をあげる鹿=満開の萩の花を恋しがって鳴く牡鹿、という感じでしょうか。
異種同士の擬人化、とでもいうべき組み合わせの妙ですが、秋ここに極まれりといった風景を、鹿の恋歌として艶色に仕上げた敏行のセンスはやはり才能であると感じさせる作品です。