東京四谷総鎮守│須賀神社

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三十六歌仙絵ご紹介(第24回)

季節はすっかり秋となりましたね。
境内の木々もすっかりと色づき、季節の移ろいを感じさせてくれます。
先日は酉の市、一の酉でした。二の酉は11月16日、三の酉は11月28日に行われます。
1年の締めくくりに向け、是非お立ち寄りください。

さて、三十六歌仙絵巻ご紹介、第24回となる今回は、藤原朝忠の歌をご紹介いたします。

【作者】
藤原朝忠(ふじわらのあさただ)
中納言朝忠
生:延喜10年(910年)
没:康保3年(966年)

 

藤原定方の五男。三条右大臣と呼ばれた父の定方が、従兄弟の藤原兼輔(14回)とともに藤原北家の勢力を着実に固めつつあった時代です。自身の子どもたちを次々に天皇家に嫁がせ、または要職に就かせていきました。

そのような時代に生まれたエリートの朝忠は、若くから順調に出世を重ね、946年には村上天皇即位の大嘗祭で悠紀方の和歌を詠んだ労によって従四位上となります。以降は村上天皇の元で官職を務め、最終的には従三位中納言にまで昇進しました。

さらにこの時代の高官に必要な教養も十分に備わっており、笙や笛の名手でしられ、大嘗祭で詠むなど和歌の才能も高かったようです。多くの歌を残し、後撰和歌集などの勅撰集や、小倉百人一首にも選出されました。

 

【掲載されている歌】
●この歌の詞書…天暦御時、斎宮くだり侍りける時の長奉送使にてまかりかへらむとて

よろづ世の
始めとけふをいのりおきて
今行末は
神ぞしるらん
– 拾遺和歌集 巻五 賀–

万代の始めと今日(京)を祈って
これからの(斎宮)の行く末は(どうなるのか)
神のみぞ知っていることでしょう

 

この歌は、祝いの歌のカテゴリになります。
朝忠が斎宮に選ばれた内親王を伊勢まで送り届ける務めを終え、天皇に報告する儀式にて詠んだ歌です。その日を祝い、「今日」と「京」を掛けて御時が万代続くことを願いました。
しかしその一方、この祭事は未婚の内親王が都から遠く離れ、男子禁制の斎宮で外界とは一切の接触を絶ち、神のため奉仕する日々が始まることでもあります。それは身内の不幸か、天皇が代わる時まで続くので、いつ終わるかはまさに神のみぞ知ることです。

天皇家のお姫様に生まれながら、年頃の時期を1人伊勢で務めることは、現代の私たちでも内心は複雑なものだと想像できます。貴族の子女としてとても重要な地位になりますが…それは母親や恋人との別れ、人生の激変を指すのです。本人だけでなく周りも大変辛かったことでしょう。実際に和歌や物語にも斎宮にまつわるエピソードが多く見られます。

そうした事情を知りますと、むやみに賛辞を述べただけの歌ではないと思えてまいります。斎宮の務めが今世の安寧=内親王の孤独な日々、それがどれだけ続くかは、神の采配です。と斎宮周囲の想いにも絶妙に配慮した和歌だったのではないでしょうか。

斎王群行の儀式は大変大掛かりで、朝忠にとってそれに関わる数百人を指揮する重責な職務でした。この歌はすべて滞りなく勤め上げた最後の仕事であったと思われます。出立の儀式は涙があったのでしょうか?それとも公の場では慎まなければならない感情なのでしょうか…
そのような想像にかられる一首ですね。