東京四谷総鎮守│須賀神社

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三十六歌仙絵ご紹介(第26回)

新年あけましておめでとうございます。
早いもので、もう令和五年となりましたね。
まだまだコロナ禍は続いておりますが、
だんだんと普段通りの生活が見えてきていますね。

 

さて、三十六歌仙絵巻ご紹介、第26回となる今回は、藤原清正の歌をご紹介いたします。
 
 
【作者】
藤原清正(ふじわらのきよただ)
生年不詳
没:天徳2年(958年)
 
藤原兼輔(第14回)の次男。朱雀朝、村上朝の役人。紀伊、備前、備後など国司を歴任し、最終官位は従五位上。村上天皇の時代には宮廷歌人として活躍し、数々の中宮歌合に出詠。 天暦御時の屏風歌もおさめました。勅撰入集は三十一首になります。

 

【掲載されている歌】
●この歌の詞書…殿上はなれ侍りてよみ侍りける/紀のかみになりて、まだ殿上もせざりしに(清正集)

 

天つ風
ふけひの浦にゐるたづの
などか雲居に
かへらざるべき
– 新古今和歌集 1723–

 

天からの風強く吹く、ふけい(吹飯)の浦にいる鶴は
なぜ大空に帰るべきなのに(そこにいるのか)

 

 「ふけい」とは、深日(現大阪府)のことで、紀伊国(和歌山県)との境にあたります。「吹飯の浦」と書き万葉集の時代から和歌の題材に詠まれた場所です。とても風の強い土地であることから、「強い風」や「夜更け」の枕詞として使われました。
 また当時は、冬になると渡り鳥のツルが多く飛来する景勝地でもありました。そこから、この歌は清正が紀伊国へ赴任のため向かう際の道程の風景であったことがわかります。

 

『三十六人歌仙伝』によると、紀伊介に任命されたのは天暦10年の正月とあります。それまでは左近衛少将として内裏の護衛官を勤めていた清正にとって、兼任といえども、ここまできて再び地方に行くことに不満があったと思われます。

「天つ風」とは天からの采配を意味し、その風に乗るべき自分(=鶴)がなぜ「雲居(=天上、宮中)」に帰らずここにいるのか?と和歌でその嘆きを詠みあげました。
家集『忠見集』には、この歌が壬生忠岑(第17回)によって都まで届けられたとあります。その結果、同じ年の10月には任を解かれて還昇を果たすのです。
通常、国司の任期は4〜6年ほどであるので、これは異例の事態です。それほどまでに評価された歌であり、さらに自らの昇格も果たしたということで、当時はたいへん評判となったことでしょう。

 

このように、平安の上流貴族にとって、和歌の技量は出世にも関わる重要なことでありました。第22回の源宗于は、上司の宇多天皇に同じく和歌で訴えましたが、まるで叶わなかったと「大和物語」に記されています。

 

平安の世は、仕事も恋も和歌の腕次第でチャンスがあったようです。芸術や教養が政治に影響されるほど、安定した世の中であったのでしょう。現代では考えられないことですが、少し羨ましいですね。