本日は3月3日。桃の節句ですね。気候もだんだんと暖かくなりつつあり、春の気配が感じられるようになりました。
さて、三十六歌仙絵巻ご紹介、第27回となる今回は、源順の歌をご紹介いたします。
【作者】
源順(みなもとのしたがう)
生:延喜11年(911年)
没:永観元年(983年)
源順は、嵯峨天皇の皇子・皇女を祖とする最初の臣籍降下の氏族、嵯峨源氏の一族に生まれました。
若い頃より勤勉でありたいへんな秀才として知られ、20代にして日本最初の辞典にあたる『和名類聚抄』を編纂しました。
村上天皇の時代には万葉集の訓点作業や「後撰和歌集」の撰集にかかわり、「梨壺の五人」のひとりとして名を連ねます。
また斎宮女御(第18回)、その娘の規子内親王のサロンに親しく出入りし、和歌などを通じ様々な貴族・文化人と交流を深めました。
『うつほ物語』、『落窪物語』、『篁物語』の作者の一人と考えられており、『竹取物語』の作者説の一人にも挙げられるなど、多方面において文人としても活躍しました。
勅撰歌人として51首が入集しています。
最終官位は従五位上、能登守となっております。
【掲載されている歌】
●この歌の詞書…八月十五夜池ある家に人あそひしたる所
水のおもに
てる月浪をかぞふれば
こよひぞ秋の
もなかなりけり
– 拾遺和歌集 巻三 秋–
波うつ水面に映る月の
その暦(月齢)を数えてみれば
今夜は秋の最中 十五夜だったのですね
満月の夜に行われた、名月鑑賞会で詠まれた歌です。
平安時代は太陰暦が使われておりましたので、現代の太陽暦に換算しますと9月中旬ごろ、まさに「中秋の名月」を愛でる会であったのでしょう。
そこでは様々な文化人が集い、めいめいの技量で満月を題材にした作品を披露し合う場であったと思われます。
順は、池に映る月の姿を「月浪」という美しい言葉で表し、「月の波」=月齢とかけて満月を表現しました。
「なみ」は、十二の月の順序のことで、繰り返される時の理を「波」にかけた歌語として用いられていた言葉です。
これは太陰暦ならではの数え方からくる表現で、そこから当時の満月は毎月の初日から15日目の空の月と決まっておりました。これはしばしば満月になりきらないこともありましたが、それも一興としていたようです。
そんな満月を、順は暦から換算して愛でるという少し変わった目線で詠みました。博学であり知性派の順らしい表現です。
当時の満月を現代の私たちも同じ姿で見ることができますが、平安の歌人達が眺め鑑賞していたと思うと、少し雅やかな気持ちになりますね。