まだまだ暑い日が続きますが、だんだんと秋の気配が近づいてきておりますね。
皆様はいかがお過ごしでしょうか。
三十六歌仙絵巻ご紹介、第30回となる今回は、坂上是則の歌をご紹介いたします。
【作者】
坂上是則(さかのうえのこれのり)
生:生年不詳
没:延長8年(930年)
是則は代々武芸を得意とする坂上氏の生まれで、征夷大将軍として偉大な功績を上げた坂上田村麻呂から五代目の子孫になります。
一族には武官を勤める者が多くいましたが、是則は歌人として才覚を表しました。主君である宇多天皇、醍醐天皇の歌合や行幸などの行事にて度々詠進し、数々の優れた歌を詠みました。
908年に大和権少掾に任ぜられ、その後は京官を歴任して最終官位は従五位下、加賀守。
和歌では「古今和歌集」に初出され、勅撰入集は四十三首、百人一首にも選出されました。
【掲載されている歌】
●この歌の詞書…奈良の京にまかれりける時に、やどれりける所にてよめる
みよしのの
山の白雪つもるらし
ふるさとさむく
なりまさるなり
– 古今和歌集 巻六 冬歌 325–
吉野の山は
雪が積もっているようだ
奈良の里は
ますます寒くなっていることだろう
「みよしの(吉野)」の山は、古くから桜の名所として多くの歌に詠まれておりますが、冬もまた、その山深さから雪の多い土地として、冬の歌にたびたび登場しました。
詞書によると、吉野の山のある地、奈良へ向かう旅の宿にて詠んだ歌のようです。当時奈良は「大和国」でしたので、大和権少掾に任ぜられ赴任する際の旅路だったのでしょうか。
「つもるらし」の「らし」は推量を表しますので、未だその目では吉野の山を見ていません。宿にて行き交う旅人の話から聞いたのでしょうか。そこから「ふるさと」が「寒くなりまさるなり」と続きますが「なり」も推量ですので推量に推量を重ねた内容となっています。
なぜにそこまでの思いがあるのかは、「ふるさと」にあります。平安の前の時代、そこは遷都前の奈良の都(京)がありました。そして是則の坂上一族の本拠地もあり、是則にとって幾重にも由緒ある場所なのです。
代々朝廷に仕え、東北の地を平定していった先祖たちが暮らしたそんな土地に、とうとう自分も国司として赴任する。さぞ誇らしい気持ちであったことでしょう。
例えるなら、上京し出世して帰る電車のなかで、ふるさとの天気を調べさらにその様子を想い描く…そんなところでしょうか。
名門一族の子息である是則の立場を思いますと、寒々とした雪景色が一味も二味も違って見えてまいります。
ふるさとを想う気持ちは、どんな時代も変わりないものですね。