今年もあと数日で終わりとなりますね。
新年の準備にお忙しくされている今日この頃だと思います。
須賀神社では、只今一陽来福御守のお配りしております。
また年末年始には様々な催しも行っておりますので、
須賀神社にぜひお立ち寄りください。
三十六歌仙絵巻ご紹介、第32回となる今回は、小大君の歌をご紹介いたします。
【作者】
小大君(こだいのきみ/こおおきみ)
別称:三條院女藏人左近
生没年不詳(900年後半~1000年前半?)
小大君は出自を表すものが残されておらず、血縁の一族が不明ですが、三条天皇の皇太子時代に女蔵人(にょくろうど)として仕えた記録があります。
女官でも下の位ではありましたが、拾遺集などの勅撰和歌集に21首撰出されるなど、多くの優れた和歌を残し才女として知られていたようです。
同じく蔵人を務めていた藤原朝光や、藤原実方などと恋愛関係であったり、また当時のトップ歌人で三十六歌仙の元となった「三十六人撰」を編纂した藤原公任との交流など、藤原家の高位の歌人たちと華やかな親交があったようです。
【掲載されている歌】
大井河
そま山かぜのさむけきに
岩うつ波を
雪かとぞみる
大井川に
杣山から吹きおろす風が寒くて
岩に打ち付ける波しぶきが
雪のように見える
大井川(大堰川)とは、京都の桂川、嵐山渡月橋のあたりの流域の名前です。この辺りは、平安京を開いた嵯峨天皇が離宮を建てたことから、以降嵯峨野と呼ばれ多くの貴族が別荘を築いたとされる土地です。
小大君とほぼ同時代の清少納言が、「野は嵯峨野、さらなり」と枕草子に記しているように、風光明媚な名所として人気がありました。特に嵐山の紅葉には多くの貴族が訪れていたと思われます。
小大君も主君に従い訪れていたのでしょうか。秋も深まり、付近の杣山(朝廷が定めた材木を採るために管理された山)から吹き下ろす風がとても冷たく寒かった様子を詠んだ歌です。
この歌の雅号は「三條院女藏人左近」とあります。小大君が仕えていた三条院は、藤原道長との政権闘争に阻まれなかなか譲位が進まず、25年もの間皇太子のままでした。そして36歳にしてようやく天皇となりましたが、わずか5年あまりで眼病のために退位した不遇の天皇と伝えられております。とても人徳があり、周囲の者たちには慕われていたとはいえ、強大な藤原氏の圧力に、体力も気力も奪われ去るのみであったようです。晩年は悲壮な歌を残しこの世を去りました。
小大君は東宮の若い頃より側に仕えてその成長を見守ってきたとすると、天皇の行く末には、それは心を痛めたことでしょう。
この歌が詠まれた時期はわかりませんが、「三条院」となっておりますので退位後のものでしょうか。
長く仕えてきた主君が、報われずに去っていくのを見守るしかなかった小大君の心境を思いますと、この歌は厳しく辛い生涯であった三条院の心の有様のようにも思えてまいります。