東京四谷総鎮守│須賀神社

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三十六歌仙絵ご紹介(第33回)

ここ最近はだいぶ暖かくなり、春がもうそこまで来ているという感じがしますね。
桜の季節ももうすぐといったところでしょうか。

 

三十六歌仙絵巻ご紹介、第33回となる今回は、藤原仲文の歌をご紹介いたします。

 

【作者】

藤原仲文(ふじわらのなかふみ)
生:延喜23年(923年)
没:正暦3年(992年)

 

 

平安時代中期の歌人、官吏。
藤原式家の出身で、父は「薬子の変」の中心人物である藤原薬子の子孫、藤原公葛です。
官職としての記録は、天暦年間に当時の東宮である憲平親王の蔵人に任ぜられることから始まります。その後加賀国守・伊賀国守・上野国介など地方官を歴任し、977年(貞元2年)正五位下に叙せられました。
冷泉天皇の東宮時代に側に仕えたことで、当時の摂関家である藤原忠頼、兼家、道兼の側近としても出仕しました。

歌人としても活躍しており、ほぼ同世代である清原元輔(第29回)や大中臣能宣ら著名な歌人をはじめとした贈答歌が多く残されています。諧謔歌(かいぎゃくか・洒落やユーモアを効かせた歌)が多くあり得意とされています。「拾遺和歌集」などの勅撰和歌集に計八首入集しています。家集に「仲文集」があります。

 

 

【掲載されている歌】

•この歌の詞書…三条の大臣殿にて、越後に物言ひて明くるまであるに、撫子の露など置きたる扇を、これ見給へとて差し出でたれば

 

•廉義公家の障子のゑに、なてしこおひたる家の心ほそけなるを

 

おもひしる
人にみせばやよもすがら
わがとこなつに
おきゐたるつゆ
– 拾遺和歌集 恋三 831–

 

恋を知る人に見せれば
わかるだろうか、
一晩中私の撫子に降りている
夜露の意味を

 

この歌の作者は、拾遺集では清原元輔(第29回)となっていますが、家集「仲文集」に編纂されており、三十六歌仙の歌にも仲文の歌として伝えられています。

 

「おもひ」とは、ここでは恋愛の思いのことです。「とこなつ」とは秋の七草であるナデシコの別名古語で、和歌ではナデシコは「撫でし子」と読み「愛しい人=恋人」の比喩としてしばしば使われました。また「とこ=床」で寝所の意味も含んでおります。
そして、つゆ(露)は涙と同義でありますので、「夜もすがら(一晩中)」、愛しい人を想って涙が止まらない様子を詠んだ歌と捉えられます。さらに(人を愛したことのある者なら)お分かりでしょう?と「おもひしる」で詠み手に共感を求めています。

 

この歌の詞書は二つありますが、どちらも藤原忠頼の屋敷でのエピソードであり、さらにどちらもしつらえの障子や屏風に描かれた撫子をヒントに詠んだ歌として紹介されています。
朝の去り際でしょうか、愛する人を置いて帰る際にこの歌を残していったとすると、この上なくイケメンで洒落た作品であることがわかります。

 

平安貴族の恋愛は、通いの恋人であれば、次回はいつ会えるとも分からないことが常でありました。その辛さを、共感を呼びかけて表したこの歌は、多くの貴族達の心に響いたことでしょう。

 

主君が、報われずに去っていくのを見守るしかなかった小大君の心境を思いますと、この歌は厳しく辛い生涯であった三条院の心の有様のようにも思えてまいります。