8月になりました。先月が嘘のような晴れ続きですね。
気温もどんどん高くなり、猛暑日が続いております。
熱中症など暑さによる体調不良には気をつけたいところですよね。
さて、三十六歌仙絵巻ご紹介、第22回となる今回は、源宗于の歌をご紹介いたします。
【作者】
源宗于朝臣(みなもとのむねゆきあそん)
生:9世紀末頃
没:天慶2年11月23日(940年1月5日)
宗于は光孝天皇の孫で、源公忠(第16回)と従兄弟になります。894年に臣籍に降り源姓を賜った後、地方の官職を歴任し最終官位は右京太夫(正五位)でした。
公忠と同様和歌の才能があり、ともに同時代の紀貫之(第3回)など高名な歌人と交流が深かかったようです。古今和歌集の礎となったといわれる「寛平御時后宮歌合(893年)」や、宇多上皇の皇后の歌合「亭子院女郎花合」(898年)に参加、選者として名前が残されています。
一方、「大和物語」では宗于が主人公の説話が多くあり、出世できないことを憂う内容が多くみられます。
宗于は最終官位でも上級貴族としては最下位のレベルで終わっています。それは天皇の血筋としては物足りないところではありました。
とは言え、当時同じような身分で不遇を嘆いた者は少なくなかったと思われます。その中で、現代にまでそのエピソードが名前とともに残るのは、歌人として名が高く、そのような身分が尊ばれていた平安の世であったからでしょう。
【掲載されている歌】
●この歌の詞書…冬の歌とてよめる
山里は
冬ぞさびしさまさりける
人目も草も
かれぬと思へば
– 古今集 冬 315 –
山里は、冬が一番寂しさが増す。
人の気配もなく、草木も枯れてしまうと思うと。
山里とは貴族の別荘のことで、当時は都から遠く離れた景勝地、宇治や嵯峨嵐山が人気でした。この歌では特定の場所ではなく、人里離れた土地といった意を持たせます。 そんな別荘地の冬は、人気もなく、草木も枯れ果てさぞ寂しいことでしょう…という内容を、宗于は古語の「離る」(人との交流が途絶える・疎遠になる)と、草木の「枯れる」を掛けて表現しました。
この歌には本歌があります。藤原興風による一首です。
秋くれば虫とともにぞなかれぬる人も草葉もかれぬと思へば
宗于はここから「人」「草」「かれぬ」を取り、冬の景色に仕上げました。 この歌の風景は、まっさらでシンプルであり、侘び寂びの美学にも似た静かな空気を感じさせます。日々忙しく、人との交流が多い貴族の日常とは正反対の世界です。
そんな景色を、本歌の興風は虫の音とともに寂しさに泣いていますが、宗于は「寂しいものです」とさっぱり表現しています。その簡素さは冬の寒さを際立たせているようにも感じます。
どちらも人と草という、通常は並べて語らない言葉を使ってより印象を強めたのが特徴です。
この「寂しさを人と草で表現」「かれぬ」技法は、とても斬新だったのでしょう。のちに多くの派生歌を生み、百人一首にも選出されました。