だんだんと秋が深まってまいりましたね。
来月には酉の市も行われます。年の瀬に向けて少しずつ準備が始まる季節となりました。
皆様はいかがお過ごしでしょうか。
三十六歌仙絵巻ご紹介、第31回となる今回は、藤原元真の歌をご紹介いたします。
【作者】
藤原元真(ふじわらのもとざね)
生没年不詳
元真は藤原南家の武人を多く輩出する一族に生まれました。
若い頃より和歌の才が高かったといわれており、家集「元真集」には11歳で詠んだとされる歌があります。内裏歌合や屏風歌に請われて詠むなど、歌人として一流の地位にあったようです。勅撰入集は計二十九首。
【掲載されている歌】
●天徳四年内裏歌合に際して詠む
咲きにけり
わがやま里のうの花は
かきねにきえぬ
雪と見るまで
私が住まう山里では
卯(ウツギ)の花が咲いたなあ
まるで垣根に消えない
雪が積もっているようだ
満開のウツギの花を、白雪のようだと風流に喩えた歌です。
ウツギとは、現在でもよく見られる低木植物のことで、その枝が中空であることから「空木」と名付けられました。花は5〜6月(旧暦の四月)に見頃になるため、四月の「卯月」の語源であると言われております。その満開に咲いている様子は、豆腐を作る際の搾りかすである「おから」のように見えることから、これまた別名の「うの花」の語源ともされています。
このように当時の人々にとってウツギは好まれていた植物であったようですが、その理由はその花の白さにありました。
平安時代の貴族は、真っ白なものをとても尊びました。当時は身分の高い者ほど室内の奥で暮らし、そのため肌は白く、さらに顔を白粉で塗る習慣があったことなどから、白は高貴なものの象徴でした。そこから、雪や霧、海の白波、そして桜や卯の花といった自然の生み出す白の美しさも好んで愛でておりました。
この歌が詠まれた背景にある「天徳内裏歌合」とは、村上天皇の主催で天徳四年(960年)に催された歌合です。作法から進行、衣装に至るまで厳しい決まりをもうけ、さらに会場も趣向を凝らしたそれは典雅なものであったようです。
参加者は、ひと月前より提示されたさまざまな歌題に準じた一首を用意し、当日は二組に分かれ課題の歌を詠みあい優劣を判定されます。
一見華やかな遊びのように見えますが、その実は成績がその後の自分の出世に大きく関わってしまう、重大な試合の場でした。
当代一流の貴族と歌人たちによる至高の御前試合であって、出世の一大チャンスである歌合。その注目度から参加する者は名誉でありましたが、プレッシャーは大変なものであったと思われます。
歌合の記録に残っている歌題に「卯花」がありますが、そこに元真の歌は記されていません。この歌は、たくさんの歌を準備していた中の1つであったのでしょうか。
平安の和歌の世界は雅でゆったりしたものと思われがちですが、実際は考え悩み、絞り出した作品も少なくなかったのかもしれません。